イキリオタクの自己満感想所

エロゲを主として、僕が触れた創作の感想を不定期で書いていきます。

『君の膵臓をたべたい』アニメ映画感想 - 生きること、そして死ぬこと

どうもこんにちは。初めましての人は初めまして。

今回は、君の膵臓を食べたい(以下キミスイ)のアニメ映画の方を見てきたので、その感想をちょろちょろと。

原作小説の方も既読ですが、ここでは原作と映画の比較をするのではなく、キミスイというコンテンツについてアニメ映画の感想を通して触れていこうかなと思っております。

 

 

 

※ネタバレ有り。嫌な方はここでブラウザバックお願いします。

 

 

 

 

 

・桜良の死に方

原作小説の方で読んだ時に、とても衝撃的だったのを覚えています。

病気で死ぬんだと予想して読み進めていたので、度肝を抜かれましたね。

 

病死ではなく、通り魔による他殺。

ここに、この作品の死に対する考え方が表れています。

 

 

考えてみれば、一日一日の価値が変わらないなんて当然のことです。

なのに僕たちは、死期が近づいた途端に一日の価値を上げる。

それはひとえに、僕たちが普段死とは遠いところにいると錯覚しているからでしょう。

でもそれは間違いです。

例えば、街中を歩いていて突然自動車に轢かれるかもしれない。

例えば、桜良のように通り魔にいきなり襲われるかもしれない。

 

死が遠い場所にあるなんて全くの嘘です。

死はいつも隣で僕たちを待っているんです。

 

誰だって明日死ぬかもしれないんだから、毎日を全力で生きる。

桜良のそれを叶えさせることができるのが、“真実”と“日常”を同時に与えることができる春樹だけだったんですね。

 

・春樹と桜良の関係

でも、桜良って春樹と出会ってから妙に一日一日を大事にしてないか?と思う方も少なくないと思います。

確かに彼女は、春樹と出会ってからの日々をとても濃密に過ごしています。

でもそれは、決して一日の価値が上がったからではありません。

前段の最後と被りますが、桜良にとって、春樹が唯一“真実”と“日常”を同時に与えてくれる存在だったからです。

 

では何故、春樹だけがそれをできたのでしょうか?

 

それは春樹が、良くも悪くも、今まで桜良と接してこなかったからでしょう。

彼女の死に対して、最初、特別な感情を抱かなかった。

否、現実味がなかったのかもしれませんね、人の死というものに。

 

とにかくそのおかげで、春樹は桜良に対して、“真実”と“日常”を同時にもたらすことができたんですね。

 

そんな彼も、桜良を通じて変わっていきます。

春樹が桜良から教えてもらったことはたくさんありますが、一番大きいものは

 

生きるってのはね。

  きっと誰かと心を通わせること。
  そのものを指して、
  生きるって呼ぶんだよ。

 

桜良の言葉を少し引用しましたが、これでしょう。

この言葉は、今まで人との関係を全て空想で済ませてきた春樹にとって革新的なものだったに違いありません。

彼自身が、彼女といる生活に楽しさを感じるようになったのですから。

それがまさしく生きることだと、桜良は言ったのです。

 

桜良もまた、春樹に教えてもらったことがあります。

それは自分が生きているんだということ。

彼女自身が言いました。誰かと心を通わせることが生きることであると。

でも、それは春樹以外から既に教えてもらってないか?という疑問が出てくるかもしれません。

僕も少しそう思いました。

 

こう考えてはどうでしょう。

桜良は友人を必要とし、また友人も桜良を必要とした。

ここで既に生きるという行為は発生しています。

でも、それはいつしか当たり前のことになって、桜良も気づかないうちに意識の底に沈んでしまった。

 

そこに春樹が現れる。

彼は最初全く桜良に興味がなかった。

そんな彼が、彼女と過ごしていく中で、彼女を失いたくない、せっかく掴んだ“生きる”ことをやめたくないと桜良に訴える。

 

そこで桜良は認識するわけです。

自分は紛れもなく生きているんだと。

死が現実味を帯び始め、不安になっていた彼女にとってそれは救いでした。

 

・春樹と恭子の関係

この2人に関しては、最初は最悪の関係でした。

春樹は恭子のことを特別嫌と思っていたわけではないでしょうが、恭子は春樹のことをすごく目の敵にしていました。

 

そんな彼らが、桜良という人物を通して、友達になったわけです。

 

春樹は桜良のお願いということもありますが、それ以上に“生きる”ことの素晴らしさを知ったからこそ恭子と友達になろうとする。

恭子は桜良の死の真相を知って春樹をますます嫌いになるも、気持ちが落ち着いた頃に桜良のことを考え、春樹に対して前向きになる。

 

過程の描写は一切ないので、この辺は完全な想像になってしまいますが。

 

桜良という人物が、ここまで人を変えた。

そうやって人に“生”を与えることができる桜良に、春樹は憧れを抱いていたのでしょう。

 

 

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

個人的に印象に残った部分を、章立てにして話してみました。

ぐちゃぐちゃになっていなければいいですが。

 

この作品を見て生きることの意味、死という概念など人生の根幹に関わる部分について考えさせられます。

 

生きることの本質。

これは人によって様々な意見があると思いますが、僕はこの作品と同様に人との関わり合いが生きる意味だと思っているので、そういう意味でキミスイはとても僕に合っているななんて思ってます。

 

 

 

キミスイ作者の別作、『また、同じ夢を見ていた』が今途中読みなので、そちらを早急に読もうかなんて考えてます。

 

だから次回はそれの感想になるかもしれませんし、ならないかもしれません。

変わらずマイペースに適当にやっていきますが、よろしくお願いします。

 

何かご意見、ご感想などあればコメントやtwiiter@__kessi__まで気軽にどうぞ。

それでは。

『ペンギンハイウェイ』感想 - たった1つの出来事で世界はがらりと変わる

どうもこんにちは。初めましての人は初めまして。

twitterのTLやらなんやらで、ペンギンハイウェイという映画が話題になっていて、久々に映画を見たいなとも丁度思っていたので、今日見に行ってきました。

SF的な部分にはあまり触れず、キャラの心の成長を追いながら、感想を述べていきます。

 

 

 

※ネタバレ有ります。まだ映画を見てない方はブラウザバックをお願いします!

 

 

 

 

 

・アオヤマ君

アオヤマ君に関しては、恋という感情を覚えた、ということでしょうか。

アオヤマ君は物語冒頭からお姉さんにゾッコンなわけですが、彼自身は最初からそのことに自覚があったわけではありません。

彼はペンギンと<海>とお姉さんの秘密についてどんどん考察していくのですが、常にその動機は未知に対する好奇心でした。ですが、最後の研究課題として残った、お姉さんの正体については、未知に対する好奇心ではなく、お姉さんに対する好奇心、言い換えれば、お姉さんに対する恋心が動機と言えるでしょう。

何故そう言えるのか?

<海>の中に入ってから最後、喫茶店に2人でいるシーン。ここでお姉さんがアオヤマ君に抱きついた時に、アオヤマ君のノートのカットインが入りますよね。ここでおそらくアオヤマ君は、自身の感情の正体に気づいたのではないかと僕は考えました。

恋愛系の創作が好きな方なら伝わると思いますが、ふと手が触れ合った瞬間とか、何かの拍子に身体が触れ合った瞬間とかに目を背けていた自分の恋愛感情にキャラクターが気づくシーン。あんな感じじゃないでしょうか。

科学にしか目のなかった男の子が、お姉さんとの関わりを通して、若い男の子らしさを手に入れたということです。

 

・スズキ君

スズキ君はかなり成長がわかりやすかったんじゃないでしょうか。この手のポジションのキャラってだいたい更生しますからね。

スズキ君はハマモトさんのことが好きなわけですが、そのハマモトさんと科学の話題で盛り上がるアオヤマ君を当然快く思っていません。だからアオヤマ君やウチダ君、更にはハマモトさん自身にまで悪戯をしてしまいます。

そのピークとなったのが、研究者に事情聴取されたシーン。

流石のスズキ君も、ハマモトさんに直に言われたことは守るのか、教室から出ていくシーンでハマモトさんに念押しされた時は、本心から言わない感じの返答をしてました。(少なくとも僕にはそう見えました。見返すことができないのでこれ以上は何とも言えませんが。)ですが、研究者に直接色々聞かれて浮かれてしまったのか、つい<海>のことについて話してしまいます。そのことがハマモトさんまで伝わり、本気で怒られます。

そうしてなんとなく、スズキ君の中に気まずい感情が生まれてくるわけです。(これはその後の学校のシーンで、取り巻きが楽しそうに過ごしているのに、1人辛い表情を浮かべ椅子に座ってたから。)

素直になれない自分が起こしたことがどんどんエスカレートして、好きな人に嫌われるまでになってしまったのですから、当然反省します。

その証拠に、災害警告の後、<海>に何とか向かおうとするアオヤマ君達を助けます。

「あーあーお決まりの展開ね」って感じですが、よく考えてみると、とても重要なシーンです。

自分が嫌いだった人、見下していた人を助けるのって簡単ですか?

プライドが邪魔して、普通は上手くいかないと思います。

だから、照れながらでもそれをやってのけるってことは、それだけ大きな心境の変化、心の成長があったことの裏付けです。

そして極めつけはハマモトさんとチェスをするシーン。

あれはスズキ君が素直にお願いをして実現したんだというのは、言わなくてもわかるでしょう。

作中の人物の中で一番わかりやすく、一番大きい成長を遂げたのはスズキ君なのかもしれません。

 

 

 

とまあ、こんな感じで2人を取り上げて語ってみました。

他にも語るべきキャラクターはいるかもしれませんが、気になったのがこの2人だったので。

 

 

 

SF作品というと、どうしても主題がSFに寄ってしまって小難しい作風になるイメージがあるのですが、ペンギンハイウェイは全然そんなことなかったですね。

終わりも綺麗にまとまっていて、普通の青春ものを見ているような感覚でした。

 

 

 

何かご意見、ご感想などあればコメントやtwitter@__kessi__まで反応をくれると嬉しいです。

それでは今回はこの辺で。

さようなら!

ラズベリーキューブ体験版プレイ感想 - キャラゲーはキャラが可愛いだけで満点なのか?

タイトルの通り、ラズベリーキューブ体験版を一通りやったので、その感想を述べていきます。

ヒロイン1人1人細かく分けるのではなく、作品全体を通してどう感じたかについて言っていけたらなと。

短いものになるとは思いますが、お付き合いください。

 

 

 

体験版ですが一応。

ネタバレ多少有ります。見たくない方はここでブラウザバックお願いします。

 

 

 

 

 

…とりあえずどのキャラも魅力的で、終始ニヤニヤが止まりませんでした。

はすね先生の絵柄に惹かれてこのゲームを予約したのですが、そうして正解だったと思わせられる素晴らしい出来でした。

1番の推しは悠なのですが、他のキャラクターも劣らず可愛らしさを感じられるのはキャラゲーとしては満点でしょう。

シナリオもキャラゲーということを考えて、かなりコミカルな作りになっています。普通であれば凄くシリアスになりそうなところも、BGMや文体、キャラのノリなどを駆使して、とてもギャグ的に収めています。

かといって全くシリアスではないかと言えば、そうではありません。ミコ姉√に関しては少しのシリアスを期待しています。主人公が河江に引っ越してきた背景と、ミコ姉が抱える事情、その辺りが絡んで主人公達が悩み、葛藤し、そしてそれを乗り越えて成長したところを見せて欲しいですね。

いくらキャラゲーと言えども、ゲーム開始時とゲーム終了時で主人公とヒロインが恋人になったという事実以外何も変わりがなかったら、物語として退屈ですからね。ユーザーを引っ張るキャラクターの魅力というのは、可愛さだけではないと僕は思います。

 

こんな感じで、概ね不満はないのですが、あえて1つだけ挙げるとするならば、ヒロイン同士の繋がりが薄いということでしょうか。

個人的に、エロゲのヒロイン同士の掛け合いはすごく好きです。特に、個別√に入った後のヒロイン同士の恋についての相談や、恋人になった後のいじりはかなりお気に入りシーンです。エロゲをプレイする中での楽しみの1つと言っても過言ではないですね。

体験版といっても、ラズキューの場合、おそらく共通√の序盤しか収録されてないので、物語がもっと進めばそういう展開になっていくかもしれませんが、そこは現時点では判断できないので不満点として挙げさせてもらいました。

 

色々書きましたが、とにかく楽しみです。期待をますます膨らませられるような内容でした。9/28が待ち遠しい限りです…!!

 

 

 

 

何かありましたら、コメントやTwitter@__kessi__まで反応をくれると喜びます。

それではまた!

『木洩れ日に泳ぐ魚』感想 -真実と事実と嘘-

こんにちは。こんばんは。

このブログは元々エロゲの感想を書くために開設したものではあるんですけど、最近それじゃ物足りないというか、まあエロゲ以外の創作にも触れることはあるので、そういったものの感想もここに残していこうと思い立ち、今回は一般小説の「木洩れ日に泳ぐ魚」というものについてです。

このブログの読者層には合わないチョイスかもしれませんが、良い意味で何度もハラハラして、度肝を抜かれ、ページをめくる手が止まらなかった作品なので、抵抗ない方は是非読んでみてください。

それでは感想の方に移っていきます。

 

 

※ネタバレ全開です。未読の方はここでブラウザバックしてくださいね。

 

 

 

 

 

この小説は、同棲している男女が、別れる前夜に互いのすれ違いの原因となったモヤモヤを解消させていく、というのが大筋なのですが、とにかく伏線の張り方が絶妙なんです。

総ページ数は約300ページほどなのですが、回想を除けばその全てが2人が語り合う夜のシーンのみで構成されます。ここからわかるようにとにかく密度が濃いんですよ。よくもまあたった1シーンでここまで出来たなと。何故同棲していた2人が今夜限りで別れることになったのかはもちろん、どうして2人は同棲していたのか、そもそも2人は何者なのか等、小説冒頭では不透明だった世界観が終盤では明瞭になっていく。そのピースがどんどん埋まっていくような気持ちのいいほどの伏線回収は圧巻の一言に尽きます。

そんな技巧的な部分ばっか褒めてても仕方ないので、そろそろお話の感想について述べていきますね。

 

本の末尾に、解説という名のある人の感想が書かれているスペースが設けられているのですが、その人が言っていたこの小説のテーマは「禁じられた恋愛」。アキはヒロを肉親だと思っていたが故に恋愛感情が募ったのだと。叶い得る恋愛というのはいつか冷めてしまうから。冷めるというのは別れるという意味ではなく、友情や信頼にそのまま移り変わることを意味するのだけれども。(例えば結婚して何十年も経った老夫婦など。)叶わない恋というのは、燃えるのではなくいつまでも燻るものであるから、いつまでも残り続けるのだと。恋愛経験の浅いというかない僕ですが、これは非常に納得のいく説明でしたね。事実、アキはヒロがいとこだと分かった瞬間に急激にその感情が薄れていくと記述がありましたから、これは何も間違いではありません。

 

ですが、僕が感じたことは別にあります。それは「真実が持つ怖さ」です。僕たちは真実が善で、嘘が悪であるという価値観のもと生きています。大体の人は、真実を話すことは良いことで、嘘を吐くことは悪いこと、と認識していると思います。しかし、果たして本当にそうでしょうか。

ヒロとアキは、物語初めから終わりまで、“真実”に振り回され続けます。いや、物語外にある彼らの人生全て、と言っていいでしょう。“真実”を求め生きるけれども、その先に待っていたのは“真実”による人生の否定だった。簡単に言えば、「知らない方が良いこともある」ってやつです。ヒロの父親の死因の推察も、ヒロとアキの関係も、ヒロとアキが互いに抱いていた感情の正体も、その全ての“真実”を知れば知るほど彼らは追い詰められていきました。

ここで、物語上における“真実”と“事実”の違いに触れておこうと思います。と言っても、さしてこの物語特有の意味が込められてるわけではなさそうですが。

事実とは、客観的に存在する事柄。対して真実とは、主観が入り混じった事実。簡潔ですが、こんなところでしょうか。

もう少し踏み込んで考えてみましょう。ヒロの作中での言葉にこんなものがあります。

 

『僕と彼女の間には、長い歳月をかけて築き上げてきたさまざまな「事実」があった。既成の「事実」もあったし、見つけた「事実」もあったし、僕らで作った「事実」もあった。

だけど、「真実」はどうだろう?

僕と彼女の間に、「真実」はあったのだろうか。』

 

ここで言う“事実”とは、例えばヒロとアキが公園のブランコに座って何時間も語り合ったことであるし、“真実”とは例えば2人は本当に愛し合っていたのか、ということでしょう。

2人は愛し合っていた。これは最初は“真実”であったのかもしれません。ところが、2人は自分らにまつわる“事実”を知っていく中で自身の恋愛感情に疑念を持ちます。この時点で、2人が愛し合っていたというのは“真実”ではなくなります。自分がそのことに自信を持てなくなるから。

要するに、“真実”とは信念のようなもので可変的であり、“事実”は不変的なものであると結論づけることができます。

だからそういう意味で、“嘘”ですら“真実”に成り得るのではと僕は考えます。事実、彼らが兄弟で、禁じられた恋をしていたのは“嘘”であったが、彼らがいとこであるという“事実”を知るまでは“真実”だったのですから。

 

もう一度まとめると、彼らは“事実”を知り、互いを信じられなくなったからその間に“真実”なるものは存在しなくなった、というのが僕の解釈です。それ故、彼らの離別は必然的だったと言えるでしょう。“真実”が太陽のようにチラつく木洩れ日の中で、彼らは泳がされていたのです。

事実が、真実を塗り替える。「知らない方が良いことも世の中にはあるよ」なんて今や陳腐でくだらない言葉と一蹴されがちですが、人間関係の真理が詰まっていると言えるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

冒頭でも言った通り、普段は主にエロゲの感想を書いています。この記事で初めて当ブログに来られた方は、逆にそういった記事に縁がないかと思いますが、これからは一般小説の感想記事もこんな感じで書けていければと思っておりますので、良ければこれからもお付き合いください。

何かご意見、ご感想などあればコメントやtwitter@__kessi__まで気軽にどうぞ。喜びます。

 

それでは今回はこの辺で。

さようなら!

Summer pocketsしろはtrue end感想、考察 -サマポケが僕らに伝えたかったこと-

どうもこんにちは。当ブログにお越しいただきありがとうございます。

前回、間が空くと思いますって言ったのに、全然空いてないですね。

むしろ、今までで一番速い更新ペースなのでは?

そんな感じで、いよいよサマポケ感想もラスト、しろはtrueです。

基本的には気になった部分を抜粋して僕の所感を述べるという今までと変わらない形式でいきますが、今までの総括的な感想も書けたらなと。

 

 

 

※ネタバレ全開です。未プレイの人は見ないでください。

 

 

 

 

 

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とてつもなく悲しくなった時、人はそれを現実とは認めたくありません。√内で直接触れられることでもありますが、泣いてしまったら認めることになる。悲しいと感じてしまったら、それが本当に起こったことになる。だから必死に抵抗するんです。認めないために。逃避ですね。

 

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思い出というのは必ずしも良いものではない。その通りです。というより、辛い出来事の方が長く覚えているものですから…。そういった思い出にまつわる場所に来てしまうと、それがなくなればいいのにと思ってしまう。楽しかったその前の過去に戻りたくなる。だから、小鳩はしろはを食堂から遠ざけていた。

これって楽しい思い出も然りだと思うんですよね。例えば今が辛いとする、そんな時に楽しかった思い出の場所に来たら、戻りたいと思いますよね。そうして過去にすがってしまう。結局、過去に囚われないためには、今を楽しくするしかないんです。

 

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ループものの典型ですね。過去が変われば当然未来も変わる。だから、楽しいことも苦しいことも全部消える。それでも七海は、うみは、しろはの力を消したかったんですね。その方が、幸せになると信じているから。

 

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自由とは何にも縛られないことではない、ということですね。制限があるから、境界があるから、自由が、過去や未来といった時間概念ができあがる。区切りがないというのは、何もないことと同義なのかもしれません。だって、夏休みが無限にあるとするならば、それは夏休みではないし、そもそも休みですらありません。

 

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何が一番幸せな選択かなんて誰にもわかりません。全ての未来は可能性でしかないから。だけれども、少なくとも過去にすがるのは良くない。それでは、最高の幸せはそこで止まってしまうから。うみ√、いやサマポケ全√での教訓ですが、未来に最高の幸せを作り上げることはできます。だって実行するのは他の誰でもない自分自身なんだから。過去よりも楽しく過ごせばいいだけ。過去よりも楽しいと思えばいいだけ。時にはつまらないことになるかもしれないけど、陳腐な言葉で言えば、可能性は無限大ってことです。

 

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しろはのお母さんも一緒にいたかったに決まってます。それでも、しろはの元を離れたのは、蝶になるのを選んだのは、しろはに今を、未来を生きてほしいから。自分がそうなるように先導したいから。苦渋の末の決断だと思います。うみもそうですが、力を持つ人間は自分を犠牲にすることでしか、誰かに幸せを与えられないのかもしれない。自分が犠牲になって導かないと、自分と同じ過ちを犯すと気づくからでしょうね。

 

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うみだって過去を改変したくない気持ちは心のどこかに常にありました。楽しかった夏休みが無に帰すから。だけど、うみはここまでリープするまでの長い長い旅の間に知ったのです。未来は可能性の宝庫だと。自分の行動次第でいくらでも楽しくできると。過去よりも楽しいことがたくさん詰まっていると。だから、しろはをどうしても過去から切り離したかった。さっきも言いましたが、しろはもうみも、自己犠牲の精神が強いですね。否、力を持っているからそうせざるを得ないのでしょう。自分を犠牲にすることで、相手に幸せを授ける。悲しい運命です。

 

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ここまで言ってきたことの否定になってしまいますが、やっぱりそれでも楽しかった思い出は捨てにくい。だってそれは最高の思い出なんだから。現時点でだとしても。今後の楽しい出来事は全て可能性でしかなくて、可能性である限り、過去が人生で一番の思い出になることだってあり得る。怖いことですよ、それは。

 

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過去が改変されたことによって、本来巡り会うはずのなかった2人。それでも、運命というものでしょうか。そんな言葉では曖昧な気もしますが。未来は必ず一点に収束していく。それは悪い意味でも、良い意味でも。そういう結論なのかもしれません。

 

 

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

ここからは、なんか変なこと言ってんなくらいで聞き流して欲しいのですが、僕は正直しろはtrueはそんなに好きじゃないです。

サマポケのコンセプトは「夏休みが包含する懐かしさ」ですよね。

しろは、鴎、紬√はしっかりとそれを感じ取ることができました。蒼√を書かなかったのはわざとですよ。あれには懐かしさを感じれませんでしたね。まあただそれは、僕がこれから言いたいことと逸れるので割愛します。(お前蒼√が一番好きとか言ってなかったっけ?)

うみ√、しろはtrueと、物語の中核であるループにどんどん迫っていきました。

うみ√はまだ途中まで子供の夏休みが体現されていたのでノスタルジックになれましたが、しろはtrueはもう完全にただのループものになっていたような気がします。

Summer Pocketsというタイトルは

 

:少年時代の思い出というのは、どれも大切で、大事にしまっておきたいもの。ポケットというのは、そんな思い出をしまう小さな宝箱のような物でした。「夏の小さな宝箱」そういった意味合いを込めたタイトルです。』

 

と、サマポケのインタビュー記事を引用しましたが、このような意味があります。

しろはtrueは確かに、色々な夏休みを乗り越えた末に、本当の幸せとは何か、それは自分が今から作り上げていくものなのだ、という流れの命題になっているのでしょうが、それでは当初のコンセプトと少しズレませんか。プレイヤーを泣かせることにこだわり過ぎじゃないかという感じが否めません。4ヒロインの個別√だけでサマポケを評価しても、間違いなく僕の中で一番の作品になるんですけどね。

まあ別にループ設定が混じったからといって評価を下げる気はないですが、少し蛇足のように思ったというだけです。ループ設定のせいで陳腐になったというのは言い過ぎかもしれませんが、要はそういうことです。

読みが浅いとか言われるかもしれませんが、何度も読み直さないとわからない作品ってしんどいと思いますよ。一回プレイしただけでスッと主題が伝わる方が、単純明快で良いんじゃないでしょうか。創作って作者が自分の思いを伝える場所ですよね。それが回りくどくてどうするんですか、というのが僕の見解です。

っていうガチ勢に突っ込まれた時用の言い訳を用意しつつも、それでもサマポケには感謝しかありません。未来に生きる勇気をくれたから。過去を踏まえた上で、今を一生懸命大切に生きようって思わせてくれたから。生きる支えになります。

 

心から、ありがとう。

 

 

 

次回は何の感想になるかわかりません。夏休みに何か一作やって、その感想を書きにこようとはぼんやりと考えてますが。まあマイペースに更新していくんで、良ければこれからもよろしくお願いします。

それではまたいつか!

Summer Pockets ALKA√(うみ√)感想、考察

どうもこんにちは。

いつもより少し期間が空いたような、空いてないような、そんな感じですが、ALKA√をクリアしましたので感想を述べていきます。

今回はいつもの気持ち悪い自己投影を踏まえた心情考察ではなく、世界観や設定に対する考察を多めでいきます。そういう√だったと思うのでね。

 

※ネタバレ全開です。未プレイの人はブラウザバックを推奨します。

 

 

 

 

 

うみ√と便宜上なっていますが、別にうみと付き合う√ではありません。そういう雰囲気にもなりません。そうではなく、うみというキャラクターについて深堀していく物語、そういう意味でうみ√となっているのだと思います。ゲーム始めた頃はただのサブキャラだと認識していたのに……と言った感じではありますが、中々奥深いキャラクターでしたね。

 

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このシーンはこの時点ではさっぱりわかりません。いざやり終えて振り返ってみると、「ああ」と頷けるのですが。

まあそれはいいとして、この言葉はどういう意味でしょうね。

「私は『私』じゃなくなっていく」、というのは明らかにうみの精神年齢、と言ったら言い方が生々しい気もしますが、それが下がっていくのを指しているのでしょう。

では、「私は『私』になっていき」とは? 僕は、うみが逃げずに前へ向かっていくことを指していると考えます。

うみは辛い“今”から逃げて逃げて夏休みを繰り返していくのです。物語終盤、うみはついに“今”を生きることになるのですが、それのことを言っているのではないでしょうか。どんどん自分の色を削ぎ落とし、世界を染め上げていく。その中で、“過去”ではなく“今”を生きる準備というのも着々と進んでいく。そういうことでしょう。

 

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しろはとうみはループしていることがわかるのですが、羽依里もループをしているのでしょうか。主体でなければ既視感を感じるわけないでしょう。それぞれの世界線にそれぞれいるのだから。だから、羽依里もループの主体であると考えるのが普通でしょう。

 

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他人の顔色を伺いながら行動するというのが、子供のうちから身についているのは残酷なことです。大人になればしょうがない、いや本当は「しょうがない」で済ましてはいけない問題なのかもしれませんが、事実、人間関係を円滑にするために必要なスキルです。ですが、子供にはそんなこと知ってほしくない。無邪気に、自分の思うがまま過ごして欲しい。そんなことを感じます。

うみは、それができなかったんですね。母親が死んで、父親とはあまり仲良くなくて、そういう子供っぽさを出すことが許されなかった。「おかーさんと過ごしたい」というのは言い換えれば、「子供でありたい」ということでもあるんじゃないでしょうか。

 

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うみはそんな過酷な現実から逃げたいと思っていました。「おかーさんに会いたい」「一家団欒したい」そういう欲望が、うみに過去に戻る力を与えました。しかし、心だけ戻れるっていうのがまた残酷ですね…。だってそれでは、過去を変えることはできないから。結局、逃げてきた現実に過去が収束していくのを傍観することしかできないから。

 

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しろはは周りとの接触を避けられているのではなく、避けているのです。しろはは冷たいのではなく、温かい人間なのです。自分よりも、周りを優先する。心から島のみんなを大切に思っているからこそ、自分の不運に巻き込みたくないと考えている。

 

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冒頭で精神年齢が下がっていくと話しましたが、もう少し深く考えます。今までの4√を終えて、少し精神年齢が下がった。そしてこの√終盤で急速に下がっていきます。それはもう日単位で。なぜでしょう。

それは、羽依里としろはが夫婦に近づいていっているからではないでしょうか。仮に羽依里としろはが夫婦になってからも“過去に来たうみ”が生きていれば大きな矛盾が発生します。もちろんそんな帳尻合わせのような無機的な理由だけではないと思います。うみの色が落ちていく代わりに、世界が色づく。それは今までの4√のことでもあり、うみの願いから言えば羽依里としろはが結ばれることでも当然あります。ですから、そうやって世界を色づけた代わりに、うみの色が失われたのではないでしょうか。

 

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名言ですね。結果というのは次の結果のための過程である。そういうことでしょう。結果を結果としか受け取れないから、単一的なものになっていく。限界を自分で決めればそこで終わりということです。過程は自分で変えることができる。だから全てを次のための過程と考えれば、未来を変えることができる。

 

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残酷です。うみを忘れている時点では、うみという存在は消えていない。うみを忘れたことを忘れたら、うみという存在はこの世から消える。考えれば当たり前のことですが、ぞっとしますね。人は他人の認識によって生きている、つまり人は他者という存在に依存した生き物であるとはこういうところからくるのでしょう。

 

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このCG、OP映像で見たときはいい1枚だと思ったのに。実は悲しいCGだったなんて…。

 

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ここから悲しい無限ループです。

しろはがうみが力で苦しまないよう無理して色々模索する→その影響でうみの誕生と共にしろはは息を引き取る→うみが悲しんで過去に戻る→羽依里としろはが結ばれる→妊娠する→前へ戻る

といった具合に…。

ここから脱却するには、うみが前を見つめ、“今”を生きるしかないわけです。

 

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確かに、叶えられなかった一家団欒を手放したくはない。だけれども、それでは誰も救われない。だからうみは満足するまで夏休みを周回し、そしてその末に、逃げずに“今”を生きていく決意を得るのです。

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

前も言ったかもしれませんが、設定面の考察はあまり上手ではないので、拙いところがあるかもしれませんが大目に見てください…。

この√はもちろん前半の、羽依里としろはでうみの叶えたい望みをどんどん叶えていくというところで、主観的ではなく、客観的な「子供のころの夏休み」を感じさせてくれました。客観的だからこそ、懐かしいという思いはひとしおでした。

ですが、それとともにサマポケの世界観をどんどん明らかにしていく√でもありました。

とにかく衝撃的でしたね。ただ単なる夏休み体験記では終わらんぞというところでしょうか。最後のしろはtrueの展開が気になるところです。

 

そんな感じで今回は終わります。

何かご意見、ご感想などあればコメントやtwitter@__kessi__まで気軽にどうぞ。

私事ですが、大学のテスト期間と被っているのでしろはtrueの感想はさらに間が空くかもしれません。気長に待っていただければと思います。

それでは!

Summer Pockets空門蒼√感想

どうもこんにちは。当ブログにお越しいただきありがとうございます。

気づけばサマポケ感想も全ヒロイン書いていました。

そんなわけで今回も自己満全開ですが、お付き合いいただければと思います。

 

 

 

※ネタバレ全開ですので未プレイの方はご注意ください。

 

 

 

 

 

蒼√は特にキャラの可愛さ表現という点において、他√よりエロゲチックで「蒼の18禁シーンが見たかった…」という感想が散見されるのも頷けます。

そういう部分が物語全体から考えてどうだったかについても触れたいなと思いつつ、早速感想を述べていくことにします。

 

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周りの環境が自分を作るってよく言いますけど、これはその縮小ですよね。元気な子といると、自分まで元気になるような気がします。この√に限った話じゃないですけど、羽依里がこの島に来たのは、そういう環境変えの意味があったんでしょうね。

 

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七影蝶、この√から始めればなんてことないですが、他の√を先にやってると「なんだこれは?」って疑問が残る存在でしたよね。しろは√では最後羽依里がしろはを助けるためのしるべになり、鴎√では一度消えた鴎が戻ってくる時に現れて、紬√では神隠しの時に出現して…。これら全ての状況を鑑みると、「七影蝶って記憶だけの存在なのかな?」って再び疑念が生まれてしまうのですが、考え過ぎですかね…。

 

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羽依里は部活で失敗して、そこからどんどん負の連鎖が続いて、嫌になって鳥白島に逃げてきたわけです。つまり今の羽依里は空っぽなわけです。シナリオ後半で言及されますが、そんな羽依里に蒼は一歩踏み出す勇気を与えたのです。蒼は羽依里に足りなかった重要なものを持っていました。

 

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他人と比較される人生ってどうなんでしょうね。人間が社会的な動物である以上、それは避けらないことなのでしょうが、不幸なことです。蒼の場合、別に誰かに藍と自分を比較されていたわけではありませんが、自分自身で比べてしまいます。何でもできる藍と、何もできない蒼。そんな中で自分に価値を見出せていなかった蒼が、唯一見つけた自分にしかないもの。それはもうアイデンティティに成り得るもので、必死になって追い求めてしまう。蒼は子供のくだらない承認欲求と言っていますが、果たしてそうでしょうか。大人になっても、いや、大人の方がこういうことって多いと思いますよ。何せ、没個性的であることを強いられる世の中ですから。個性がないと、生きている感覚がしなくなって、だから必死に何か自分のアイデンティティなるものを探す。社会に埋没しないように。

 

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これは最後まで説明がありませんでしたが、紬√でいう、ツムギと紬のようなものでしょうか。崖から落ちた藍がツムギで、蒼に寄り添った藍が紬、という関係性。もっと具体的にどういうことなの?と言われると、説明しづらいですが…。藍の代わりに、藍の役割を果たす人、というところでしょうか。

 

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これ、本当にすごいことだと思います。相手の本心が読めなくて、それで行動が制限されることって誰しもあると思います。特に蒼の場合は、絶対に相手の本心が現状わからない。(藍が眠っているので。)そんな状況でも、予想される不安を振り払ってひたむきに頑張れるっていうのはちょっとやそっとの心の強さでは無理です。蒼、やばい。何もないとか言ってたけど、こんな根性があるのは立派なアイデンティティですね。

 

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最初の感想と被りますが、憧れでしょうね。あるいは、自分もそうなりたいという羨望もあるのでしょうか。そういうところから、その人の側にいたい、一緒にいたいってなるんでしょうね。そうすれば、自分も変われる気がするから。

 

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「信じ続ければいつか叶う」って、臭い言葉だなって思われるかもしれません。でも、よく考えれば真理じゃないですか。信じるっていうのは、その目標に向かって実際に行動することで。例えば、蒼が藍の目覚めを信じて七影蝶の記憶を覗き続けたように。そういう真摯さは、確固たる信頼の上にしか生まれません。信じるっていうのはそれが勝手に起こるのを待つことではなく、起こるように行動することなんじゃないでしょうか。

 

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だから羽依里も信じます。蒼が起きるのを。待つのではなく、行動することで。島に頻繁に来て、記憶を共有して。夏が来たら、蒼の記憶を宿した七影蝶を探して。

 

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最後のこの描写はなくても、「蒼は眠りから覚めるんだろうな」と想起させてくれる展開ではありましたが、やはり実際に描写があるのとないのとでは違いますよね。スッキリした終わり方になります。おめでとう、羽依里、蒼。

 

 

 

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

僕は全ヒロインの√の中で一番蒼√が好きですね。

決して悪い意味ではなく、典型的な泣きエロゲのシナリオだからです。

しろは√や鴎√はkeyらしさがあるみたいですが、個人的に美少女ゲーという土俵で考えるならば、蒼√の方が完成度が高いと感じます。

「要は蒼√の方がイチャイチャしてたからか?」って言われそうですが…。いや、端的に言えばそうなんですけど…。

美少女ゲーである以上、そこには恋愛という要素も必要ではないでしょうか。それはイチャイチャ要素を入れろっていう安直な意味ではなくて、愛情というものも1つの糧として、主人公やヒロインが成長する。そういう物語こそが美少女ゲーという媒体を最大限に生かしたものだと思うんですよ。しろは√も愛情を経た成長ではあったのかもしれませんが、もうちょっとガッツリ愛として表現してほしいというか…。

 

 

 

そんな感じで今回は終わりたいと思います。

何か質問、ご意見などあればコメントやtwitter@__kessi__までお願いします。

しろはtrueの前にalkaっていうシナリオがあるみたいですね。次回はそれの感想になるでしょう。

それではまた!